プロフィール

Lino

スクール代表 幸地涼子(こうちりょうこ)

お気楽マインド®コーチ/コーチングスクール主宰/マインドの専門家/売れちゃうマインド®認定コーチ/セミナー講師/元グラフィックデザイナー

コーチングスクール:クラスセッションの様子

元々ちがう業界から、なぜコーチに?

私の紆余曲折ありまくりなキャリア変遷をお話しようかと^^;
ご興味のある方は、ひとつお付き合いくださいませ。

九州で4大卒後に東京のデザイン学校へ

はい、キャリアスタートの前から既に一悶着でしたね。自分の専門性を見極めて仕事を決めるために大学へ入ったんですが、就活のタイミングで気付いてしまったんです。

  •  “絵”にまつわる仕事がしたい
  •  人の笑顔をつくれる仕事がしたい

ということに・・・!!!

そして人生のテーマも決めたんです。

「私は、絵と笑顔と共に生きていく!」
というもの。

ちなみに大学では国際関係学を専攻、カンボジアの貧困問題を研究し、今でも当時お世話になったボランティア団体での活動は続いています。ライフワークの一つですね。それはそれで素晴らしいきっかけになってよかったんですが・・・

12歳で諦めたと思っていた「絵」の世界でお仕事をする自分が、まだ胸の中に生きていることに気付いてしまい

進学するか、取り敢えず入れる会社へ就職するか(失礼な言い方ですけども)、かなり悩みましたよ。

お金の問題もありましたが、自分にウソはつけず。様々な条件をクリアして故郷を離れ、単身、上京したのです。

就職するも3ヶ月でクビ

専門学校でデザインを習得し、作品集をもって「いざ」というタイミングで時代は「第二新卒」という言葉が生まれた就職氷河期でした。

それでもなんとか決まった就職先は・・・かなりハードな働き方の会社でした。(その辺の詳しくはアメブロで書いています→クリックでアメブロ開きます

社会の洗礼に耐えきれず体調を崩しがちになり、仕事でのミスも増えていきました。学生時代は一応の「そこそこ優等生」のつもりだった私は、そんな自分を許せず自らも精神的に追い込んでいたんです。しがみついて頑張るぞって空回りしながら。

そして3ヶ月目に入った頃、社長室へ呼ばれ「君には他にもっと合う会社があると思うよ、どうだい?」と自主退職を勧められて実質のクビになりました。

週7で働く!?若さは馬鹿さ

職を失い、たったの3ヶ月しか勤続していなかったので失業保険もなく、スグに働ける仕事を!と派遣にバイトにと掛け持ちして働きました。

元々、20代で起業したいという野望もあったので、謎の反骨精神で週末起業にもチャレンジ。

そういえば私は正規雇用とボーナスっていう経験をしてないですね。いいなぁ、ボーナス(笑)

デザインのお仕事が一番多くて長かったですが、そのほかコールセンター、営業事務、工場派遣、イベントスタッフなど多種多様なお仕事を経験させていただきました。

週5で派遣や契約のお仕事をして、土日にバイトと起業、たまに早上がりの日は人脈づくりに交流会やセミナー参加・・・ん?あの頃いつ休んでいたんだ?あ、でもだから最後の方は体調も崩しがちで仕事に穴を開けることが増えていったんです。

ご迷惑をおかけした方々には本当に申し訳なく思っています。

それでも必死に、生き急ぐように頑張っていたんですよね。今思えば痛々しいほどに。「若さは馬鹿さ」という言葉がピッタリなくらい、頑張ろうとしていましたね。

持病の悪化、働けなくなり“窮地”に!

 

さて私、実は17歳で発症した関節リウマチという膠原病でしてね。ストレスや関節の酷使は病状の悪化を招くよーって知っていたのに分かっていたのに・・・やぁホントお馬鹿さんですよねぇ。

症状の詳しくは割愛しますが、関節の痛みと熱で布団から起き上がれない日が続き、当日欠勤が増えて派遣のお仕事は更新されず無職になりました。(そりゃそうよ)

まぁそれだけならまた仕事探せばいっか~♪だったんですけど(おぃ)、収入激減の時期に・・・きてしまったのです・・・そう、賃貸の契約更新が!!!!

全然計画性のない就職と生活を送っていた私は更新料を貯金しておらず、なんなら事業資金調達のため借金までありましたからね(堂々と言うことじゃない)。

やばい、賃貸の更新できない・・・無職どころか住む場所も失いました。

友人宅へ居候、人間関係のトラブルで人生どん底

ありがたいことに起業仲間の友人が居候させてくれて、なんとか生活を立て直そうと励んでおりましたらば、今度は人間関係のトラブルに巻き込まれまして。

私の中では本当にほんとうに許せない「裏切り」にあったんです。

人生で初めて憎む相手の命をうばいたくなるほどの憎しみがこみ上げてきました。(最初で最後にします)

でも同時に「そんなこと思っちゃダメ」と自分を責める自分もいましたし、もういっそ「私の命を終えるには」と、調べたり日々考えたりもしていました。

病院へも行きましたが「君はうつじゃない」と軽くあしらわれ、さらにショックでした。

え、こんなに苦しいのに…じゃあ、どうすりゃいいの!?もう、こんなの、いやだ!

“どん底”を味わって、ようやく私は再生するための道へと進めたんですね。

「心理学」を片っ端から実践検証する日々

民間のカウンセラーさんを探してセッションを受けたり、心理学の講座受講や書籍を読み漁ったりしては、「得られた知識や理論は本当に使えるのか?」と、とにかく実生活で日々仮説と実践検証を繰り返しました。

完全なる独学でもなく、かといってどこかに所属するでもなく、頼れる人に力を借りつつ、自分にできることをできる分だけ進める、そんなスタイルでしたが自分を取り戻していきました。

人生を再起動!6ヶ月で激変!

その頃には友人宅ではなく、交際相手の部屋で同棲していたんですが、“どん底”状態だった私がみるみる元気になっていき、彼との関係性も深まり、結婚もサクッと決まりました。

体調も安定してきて、離れて暮らす親の事が気になりつつも、結果的に自由に過ごさせてもらえることになり、こんなにいろいろと善い方へ進んで大丈夫かな?と思うほどでした。

仕事も、結婚を機に思い切ってフリーランスでデザインをすることにしました。開業届を出したのは2014年のこと。

人生のテーマである「絵と笑顔」を思い出す

大学の時に決めた人生のテーマを、私はデザイナーという仕事では実現できないなと思いました。

それは単に私の努力不足、才能不足、我慢不足なだけだったかもしれませんが、それでも、もう、デザインを仕事のメイン軸に据えるのはやめよう、となったんです。

お仕事を任せていただいたり育ててくださった皆さんには本当に感謝の想いでいっぱいで、恩返しもままならぬことに申し訳なさが残るのも事実です。

とはいえ、もう決めたので。

“絵”は、私のライフワークとして表現創作活動にすることにしました。

そしてようやく“笑顔をつくる”仕事として、心理の道に方向転換することとなったんです。

売れない3年間。耐えられた秘訣

心理サポートへ業種を切り替えて3年は・・・売上ほぼゼロでした。バイトを3つほど掛け持ちしながらも「私の本業はコーチ」と言い切って(笑)

その3年の間もけっこう色々チャレンジはしていましたが、どの試みも当たらず。

なのに正直、売上ゼロの焦りはなかったんですよね。それはひとえに、人生のテーマど真ん中で生きている、使命の道を歩んでいるという自信があったから。

こうして誰よりも自身のお気楽マインド®メソッドを駆使して毎日ハッピー貧乏なビジネスをしていました。

ハッピー貧乏の卒業

そんな私の状況を「誤魔化しじゃなく幸せを感じられるのは、本当にすごいことだよ」と感心してくださった知人のコンサルさんが、ビジネスについて「リノちゃんに合ったビジネスの進め方は、もっと他にあるよ」と教えてくださったのがきっかけで・・・

ゆるっとお昼寝もたっぷり取りながら、ひと月で100万の売上を突破したんです。正直、私が一番ビビりました(笑)

今でも私は、同じコンサルさんにお世話になっております。何故なら「売上なんかより愛と貢献が大事」とハッキリ言い切ってくれるコンサルさんは他にいないからです。しかも、結果的に売上ばかすか上げちゃうっていう確実さにも脱帽。

なにそれって思いますよね。でも本当なのでそう言うしかないもんで。
ま、気になる方はご本人のホームページへどうぞです。

私がお世話になっているコンサルさん
染谷充紀さんのページ

→クリックで開きます

お気楽マインド®コーチとして

私の人生のテーマの軸は「絵と笑顔」ですが、その軸は美しく楽しい、幸せな地球にしっかりと支えられているんです。

私の名前が「幸地」だからか何なのか、幸せな地球にしたいという想いが子どもの頃からものすごく強くて。

幸地

地球をまるっと、HAPPYにしたい。

人も動物も植物も、地球という惑星そのものも。ぜーんぶ、です。

めちゃんこ話が大きくなりましたが、だからこそ、地球を構成する一つである「一人ひとり」が、HAPPYであれるように。お気楽マインド®をお伝えし続けます。

私は、私にできることを。楽しく、繋げていきますね。